15. 雲行き
僕こと御手洗旬が同級生の女子から好かれることなんて、この十七年の人生で一度だけ存在したということは認めざるを得ないだろう。
ましてや、現実世界で女子から《推される》ことなど、同時に起こり得るとは夢にも思っていなかった。
これだけを聞くと「リア充爆発しろ」という声を四方八方から投げつけられそうな気がするけれど、僕はそもそも存在感が限りなく透明に近い希薄さだし、ごく限られた一部の人としか会話をしないので、杞憂であるはずだ。
「へいへーい、シュンちゃんよぉ」
その限られた一部の一人、知春が四限目の授業の終了とともに席へやってきた。
「飯食いにいこーぜ」
相変わらずのニヤけ顔をした長身長髪のイケメンから、なかば無理やりに教室の外へと連れ出される。
頭の後ろで結んだ黒髪をひょこひょこと揺らしながら知春は、
「んで、あれからどーなんよ?」
と訊ねてくる。
二週間まえ、僕と真莉愛は交際を始めた。
といっても何か劇的に変わったかというと、日々の行動はほとんど変化がない。
学校でたまに話したり、帰りがけに書店や公園に寄ったり。
話題の中心は小説のことがほとんどだ。
お互いに最近読んで面白かった小説や好きな作家の話をすることが多い。
恋仲という意味での進展は、正直なところそれほど感じられない。
ただ、ふとした瞬間に気持ちのつながりというか、通じ合っているなという感覚は以前よりも強くなったかもしれない。
それが交際の影響なのかどうか恋愛初心者の僕にはよくわからないが、少なくとも好ましい変化だとは思う。
食堂に着くと、知春は醤油ラーメン大盛を、僕は定食を注文して、空いているテーブルで向かい合って座った。
「まあ要するに、シュンちゃんはマリアちゃんにベタ惚れってことよな」
「べっ」
相変わらずの知春の軽口に一瞬どきっとする。
でも、間違いではないなと思い直して、
「そうかもね」
とだけ返す。
「それにしても、まさかシュンちゃんから告白するとはな! さすが俺の幼馴染、キメるときはキメんだよな」
「トモだって自分から告白したんじゃないの?」
「いやいやいや、俺はリカがどーしてもっていうからしょうがなく、さ」
へへっ、と知春は恥ずかしげに笑う。
実際のところは知春から里香にアプローチしたとは聞いていたので、知春らしい照れ隠しなのだろう。
「そういやさぁ、いよいよ来週じゃんね」
知春の言わんとするところを察して、僕はうなずく。
一週間後には、僕の商業デビュー作が書店に並ぶことになる。
SNSでは、新人賞の受賞作ということで出版社の公式アカウントからも大々的に告知されて、僕の《白金式部》アカウントからも発売日や作品情報を流してあった。
オンラインストア上でもすでに作品ページが設置されていて、予約が始まっていた。
どれほどの予約が入っているのか僕にはわからないけれど、一人でも多くの人に買ってもらいたいというのが素直な気持ちだ。
「さっそく予約したぜ、文庫本と電子書籍」
「えっ、両方とも?」
「ったりめーよ。内容は一緒だろうけど、両方欲しいに決まってんじゃん」
「ありがと、すごい嬉しいよ」
「シュンちゃんだってことは内緒にして、それとなーく周りにも勧めとくからさ!」
そう言って、知春はラーメンを盛大にすすった。
***
放課後、文芸部の部室に立ち寄ると室内には敦子先輩がいた。
いつもと変わらないはずなのに、なぜだか圧を感じる。
「おつかれさま、旬くん」
敦子先輩は読んでいた文芸誌をばさっと閉じて、長机の上に置いた。
「おつかれさまです」
「もうすぐ発売ね。どうかしら、今の心境は」
「うーん……なんだか、まだ実感湧かないですよ」
「それもそうよね、初めてのことだし。でも、現物はもう見たんでしょう?」
先日、文庫版の見本の入った箱が出版社から自宅に届いた。
担当編集の今井さんとも以前からやり取りをしていたからどんな装丁になるかは知っていたけれど、箱を開けて実物を手にした瞬間、さすがに手が震えた。
「順風満帆ね。無事に本も出せて、可愛い彼女とも付き合えて」
敦子先輩の言葉に引っかかりを覚える。
「おかげさまで、ようやく出せます」
「あのコとは順調かしら? 交際を始めてから」
返事に詰まる。
——なぜ知っているのか。
真莉愛と付き合い始めたことを知っているのは知春と里香だけのはずで、僕はまだ敦子先輩には話していない。
敦子先輩は冷やかして冗談で言っているだけなのだろうか。
それとも、鎌をかけている?
いや、わざわざそんなことをする意味もないし、したところで何かがどうなるわけでもないはずだ。
「知ってるのよ、この目で見たんだから。二人が川沿いの道で抱き合ってるところ」
敦子先輩は突き刺すような目を向けてくる。
いたって平静な表情が余計に怖い。
いつぞやの公園のときといい、敦子先輩はどうしてそんなに居合わせるのだろう。
偶然にしては出来すぎているような気もするけれど、邪推しても仕方がない。
「……ぼちぼちですね」
もし知られているんだとしたら、あえて嘘をつくような真似はしたくない。
「謙遜するのね。いいのよ、思う存分惚気てもらっても」
「いや、そんなことは……」
「私ね、小説とかアニメとかでよく出てくる《負けヒロイン》っていう存在の意味がこれまであまりわからなかったんだけど、ようやく理解したわ。一言で表すと」
惨めね、と敦子先輩は語気を強める。
「だいたいの場合は負けヒロインって、不憫さを面白おかしく描いてコメディ展開とか一発逆転とかにつなげるんでしょうけどね。現実ではコメディなんかになるわけないし、逆転なんてほぼありえないじゃない? そう考えると、ただ単に負けてるだけなのよね。惨め以外の何ものでもないわ」
微妙な会話のかみ合わなさと彼女の口調とで、そこはかとない居心地の悪さを覚える。
なぜ急に負けヒロインの話をし出したのかはわからないけれど、並々ならぬ不機嫌さだけははっきりと伝わってきた。
「ごめんね旬くん、急にこんな話をして」
敦子先輩は微笑む。
「文学フリマに出す予定の作品のほうは、どんな調子?」
「あ、はい、もう少しで初稿は区切りがつきそうです」
「それじゃ、作品の紹介文を書いてメールで送ってもらえるかしら。私のほうでWebカタログに掲載しておくわ」
がたん、と敦子先輩は立ち上がる。
そして鞄を肩にかけて「よろしくね」と部室を出ていった。
***
夜、自室でWeb連載の小説の原稿を書いていると、真莉愛からLINEのメッセージが届いた。
『今度一緒に、本買いに行こう?』
真莉愛が指定してきた日にちは、ちょうど僕の本の発売日だった。
僕はすぐに『いいよ』とメッセージを返す。
『こないだ買ったマイクの調子はどう?』
『うん、かなりイイ。音質も最高だし、ノイズがほとんどなくなったし』
『それならよかった』
『また映画も観に行きたいね』
他愛のないやり取りが続く。
内容は以前とそれほど変わらないけれど、頻度は増えたかもしれない。
思い立って、Twitterを開く。
告知ツイートへのリプライに返事を送るのが後回しになってしまっていた。
『@dj_namihei 予約済み、楽しみです!』
『@yurufuwa_biyori 待機~~~』
『@furuno_miko もうすぐですね! 待ちきれないです!!!』
ちょっとまえまで頻繁にリプをくれていたのりたまさんを、ここ最近見かけないことに思い至る。
そういえば、タイムラインにツイートが流れてこない。
「……ん?」
自分のプロフィール欄からフォロワーリストを開いてアカウントを探すが、のりたまさんが見当たらない。
フォロー中リストのほうを見ると、たしかにアカウントは存在したが——僕へのフォローが外されていた。
のりたまさんのプロフィールを開くと今日もツイートはいくつかしていたようなので、何かの手違いでフォローが外れてしまったのか、それとも何か思うところがあったのか。
もやもやとしたものが胸の内に残ったまま、ひととおりリプライを送ってからTwitterを閉じる。
ふと、敦子先輩から受賞記念にもらった万年筆の箱が目に入る。
綺麗に包装されたままで、まだ封を開けていない。
せっかくのプレゼントなのに、なぜだか使いたい気持ちになれていなかった。
部室を出ていくときの、敦子先輩の冷たい目を思い出す。
まえから冗談は言うもののいつも朗らかだった敦子先輩が、今日会ったときには陰気に感じられた。
明らかに空気感が変わったような気がする。
文学フリマの作品紹介用の文章をメールで送ったときも、返事は「ありがとう」と一言だけ。
知らず知らずのうちにどこかで逆鱗に触れてしまったのだろうか。
スマートフォンが振動する。
真莉愛からのLINEメッセージ。
『今度、旬くんの小説読ませてね~』
続けて、『おやすみなさい』という黒猫のスタンプが送られてくる。
僕もすぐに『オヤスミ』のスタンプを返した。
そういえば真莉愛は、というか《ふるのみこ》は1ダース買ってくれると言っていたけれど、本気なのだろうか。
もしかして、一緒に買いに行こうと誘ってくれたのは、十二冊の荷物持ち要員として?
それはそれで大変でも、嫌な気持ちにはならない。
むしろ、本当に十二冊も買ってくれたら嬉しいに決まっている。
ふう、と一つため息をつく。
自室の窓の外では、雨が降り始めていた。
ましてや、現実世界で女子から《推される》ことなど、同時に起こり得るとは夢にも思っていなかった。
これだけを聞くと「リア充爆発しろ」という声を四方八方から投げつけられそうな気がするけれど、僕はそもそも存在感が限りなく透明に近い希薄さだし、ごく限られた一部の人としか会話をしないので、杞憂であるはずだ。
「へいへーい、シュンちゃんよぉ」
その限られた一部の一人、知春が四限目の授業の終了とともに席へやってきた。
「飯食いにいこーぜ」
相変わらずのニヤけ顔をした長身長髪のイケメンから、なかば無理やりに教室の外へと連れ出される。
頭の後ろで結んだ黒髪をひょこひょこと揺らしながら知春は、
「んで、あれからどーなんよ?」
と訊ねてくる。
二週間まえ、僕と真莉愛は交際を始めた。
といっても何か劇的に変わったかというと、日々の行動はほとんど変化がない。
学校でたまに話したり、帰りがけに書店や公園に寄ったり。
話題の中心は小説のことがほとんどだ。
お互いに最近読んで面白かった小説や好きな作家の話をすることが多い。
恋仲という意味での進展は、正直なところそれほど感じられない。
ただ、ふとした瞬間に気持ちのつながりというか、通じ合っているなという感覚は以前よりも強くなったかもしれない。
それが交際の影響なのかどうか恋愛初心者の僕にはよくわからないが、少なくとも好ましい変化だとは思う。
食堂に着くと、知春は醤油ラーメン大盛を、僕は定食を注文して、空いているテーブルで向かい合って座った。
「まあ要するに、シュンちゃんはマリアちゃんにベタ惚れってことよな」
「べっ」
相変わらずの知春の軽口に一瞬どきっとする。
でも、間違いではないなと思い直して、
「そうかもね」
とだけ返す。
「それにしても、まさかシュンちゃんから告白するとはな! さすが俺の幼馴染、キメるときはキメんだよな」
「トモだって自分から告白したんじゃないの?」
「いやいやいや、俺はリカがどーしてもっていうからしょうがなく、さ」
へへっ、と知春は恥ずかしげに笑う。
実際のところは知春から里香にアプローチしたとは聞いていたので、知春らしい照れ隠しなのだろう。
「そういやさぁ、いよいよ来週じゃんね」
知春の言わんとするところを察して、僕はうなずく。
一週間後には、僕の商業デビュー作が書店に並ぶことになる。
SNSでは、新人賞の受賞作ということで出版社の公式アカウントからも大々的に告知されて、僕の《白金式部》アカウントからも発売日や作品情報を流してあった。
オンラインストア上でもすでに作品ページが設置されていて、予約が始まっていた。
どれほどの予約が入っているのか僕にはわからないけれど、一人でも多くの人に買ってもらいたいというのが素直な気持ちだ。
「さっそく予約したぜ、文庫本と電子書籍」
「えっ、両方とも?」
「ったりめーよ。内容は一緒だろうけど、両方欲しいに決まってんじゃん」
「ありがと、すごい嬉しいよ」
「シュンちゃんだってことは内緒にして、それとなーく周りにも勧めとくからさ!」
そう言って、知春はラーメンを盛大にすすった。
***
放課後、文芸部の部室に立ち寄ると室内には敦子先輩がいた。
いつもと変わらないはずなのに、なぜだか圧を感じる。
「おつかれさま、旬くん」
敦子先輩は読んでいた文芸誌をばさっと閉じて、長机の上に置いた。
「おつかれさまです」
「もうすぐ発売ね。どうかしら、今の心境は」
「うーん……なんだか、まだ実感湧かないですよ」
「それもそうよね、初めてのことだし。でも、現物はもう見たんでしょう?」
先日、文庫版の見本の入った箱が出版社から自宅に届いた。
担当編集の今井さんとも以前からやり取りをしていたからどんな装丁になるかは知っていたけれど、箱を開けて実物を手にした瞬間、さすがに手が震えた。
「順風満帆ね。無事に本も出せて、可愛い彼女とも付き合えて」
敦子先輩の言葉に引っかかりを覚える。
「おかげさまで、ようやく出せます」
「あのコとは順調かしら? 交際を始めてから」
返事に詰まる。
——なぜ知っているのか。
真莉愛と付き合い始めたことを知っているのは知春と里香だけのはずで、僕はまだ敦子先輩には話していない。
敦子先輩は冷やかして冗談で言っているだけなのだろうか。
それとも、鎌をかけている?
いや、わざわざそんなことをする意味もないし、したところで何かがどうなるわけでもないはずだ。
「知ってるのよ、この目で見たんだから。二人が川沿いの道で抱き合ってるところ」
敦子先輩は突き刺すような目を向けてくる。
いたって平静な表情が余計に怖い。
いつぞやの公園のときといい、敦子先輩はどうしてそんなに居合わせるのだろう。
偶然にしては出来すぎているような気もするけれど、邪推しても仕方がない。
「……ぼちぼちですね」
もし知られているんだとしたら、あえて嘘をつくような真似はしたくない。
「謙遜するのね。いいのよ、思う存分惚気てもらっても」
「いや、そんなことは……」
「私ね、小説とかアニメとかでよく出てくる《負けヒロイン》っていう存在の意味がこれまであまりわからなかったんだけど、ようやく理解したわ。一言で表すと」
惨めね、と敦子先輩は語気を強める。
「だいたいの場合は負けヒロインって、不憫さを面白おかしく描いてコメディ展開とか一発逆転とかにつなげるんでしょうけどね。現実ではコメディなんかになるわけないし、逆転なんてほぼありえないじゃない? そう考えると、ただ単に負けてるだけなのよね。惨め以外の何ものでもないわ」
微妙な会話のかみ合わなさと彼女の口調とで、そこはかとない居心地の悪さを覚える。
なぜ急に負けヒロインの話をし出したのかはわからないけれど、並々ならぬ不機嫌さだけははっきりと伝わってきた。
「ごめんね旬くん、急にこんな話をして」
敦子先輩は微笑む。
「文学フリマに出す予定の作品のほうは、どんな調子?」
「あ、はい、もう少しで初稿は区切りがつきそうです」
「それじゃ、作品の紹介文を書いてメールで送ってもらえるかしら。私のほうでWebカタログに掲載しておくわ」
がたん、と敦子先輩は立ち上がる。
そして鞄を肩にかけて「よろしくね」と部室を出ていった。
***
夜、自室でWeb連載の小説の原稿を書いていると、真莉愛からLINEのメッセージが届いた。
『今度一緒に、本買いに行こう?』
真莉愛が指定してきた日にちは、ちょうど僕の本の発売日だった。
僕はすぐに『いいよ』とメッセージを返す。
『こないだ買ったマイクの調子はどう?』
『うん、かなりイイ。音質も最高だし、ノイズがほとんどなくなったし』
『それならよかった』
『また映画も観に行きたいね』
他愛のないやり取りが続く。
内容は以前とそれほど変わらないけれど、頻度は増えたかもしれない。
思い立って、Twitterを開く。
告知ツイートへのリプライに返事を送るのが後回しになってしまっていた。
『@dj_namihei 予約済み、楽しみです!』
『@yurufuwa_biyori 待機~~~』
『@furuno_miko もうすぐですね! 待ちきれないです!!!』
ちょっとまえまで頻繁にリプをくれていたのりたまさんを、ここ最近見かけないことに思い至る。
そういえば、タイムラインにツイートが流れてこない。
「……ん?」
自分のプロフィール欄からフォロワーリストを開いてアカウントを探すが、のりたまさんが見当たらない。
フォロー中リストのほうを見ると、たしかにアカウントは存在したが——僕へのフォローが外されていた。
のりたまさんのプロフィールを開くと今日もツイートはいくつかしていたようなので、何かの手違いでフォローが外れてしまったのか、それとも何か思うところがあったのか。
もやもやとしたものが胸の内に残ったまま、ひととおりリプライを送ってからTwitterを閉じる。
ふと、敦子先輩から受賞記念にもらった万年筆の箱が目に入る。
綺麗に包装されたままで、まだ封を開けていない。
せっかくのプレゼントなのに、なぜだか使いたい気持ちになれていなかった。
部室を出ていくときの、敦子先輩の冷たい目を思い出す。
まえから冗談は言うもののいつも朗らかだった敦子先輩が、今日会ったときには陰気に感じられた。
明らかに空気感が変わったような気がする。
文学フリマの作品紹介用の文章をメールで送ったときも、返事は「ありがとう」と一言だけ。
知らず知らずのうちにどこかで逆鱗に触れてしまったのだろうか。
スマートフォンが振動する。
真莉愛からのLINEメッセージ。
『今度、旬くんの小説読ませてね~』
続けて、『おやすみなさい』という黒猫のスタンプが送られてくる。
僕もすぐに『オヤスミ』のスタンプを返した。
そういえば真莉愛は、というか《ふるのみこ》は1ダース買ってくれると言っていたけれど、本気なのだろうか。
もしかして、一緒に買いに行こうと誘ってくれたのは、十二冊の荷物持ち要員として?
それはそれで大変でも、嫌な気持ちにはならない。
むしろ、本当に十二冊も買ってくれたら嬉しいに決まっている。
ふう、と一つため息をつく。
自室の窓の外では、雨が降り始めていた。
(つづく)
シェア:
Xでポストする