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3.推し

 さて、僕は今まさに窮地に立たされているわけだが、なぜそんなことになってしまったかというと、ほかならぬ自分自身が原因にして根源であるという事実が厳然として存在するからだ。
 要するに、自業自得である。
 ではいったい何が窮地なのかというと、それは数分まえのこと——僕は返却されたばかりの数学の中間テストを目にして戦慄した。

 3点。

 第一問の小問1以外は全て不正解。
 しかも、このたった一つの正解でさえ勘で当てただけであるという、目も当てられない状況だ。
 パーフェクトに美しく描かれた曲線からなる真っ赤な『3』から目が離せないわけだが、同時に僕はこのあとの展開に思考を巡らせた。

 中間テストで3点 → 期末テストでも赤点 → 補習 → 課題提出 → 追試。

 この華麗なる5ヒットコンボによって僕の体力ゲージはゴリゴリと削られ、小説の執筆にあてる時間が見る影もなく溶けていくことは想像に難くない。
 僕の唯一の親友ともいえる知春も数学の成績は絶望的で、これまでの傾向からすると赤点確定のはずだ。
 そんな彼は学校を欠席しているが、赤点から逃れようとしたわけではなく、シンプルに風邪を引いているようだった。
 学校帰りにお見舞いがてら様子を見に行こうか、と頭をよぎる。

 チャイムが鳴り、数学の授業は終わって昼休みに入る。
 クラスメイトたちの多くは食堂や売店に向かい、教室に残っている人たちは弁当やパンを机に広げている。
 僕はというと、いくら慣れっこだとはいえ精神的ダメージがまったくないわけではなかったので、心の平静を得るべくペットボトルのジャスミン茶を持って一人で屋上へ向かった。

 重たい鉄製のドアを開けて屋上に入ると、すでに何組かの生徒たちが話しながら食事をしていた。
 僕はフェンス側の、適当な段差のところに腰かけて、スマートフォンを取り出す。
 そういえば、小説新人賞の一次選考を通過したことをツイートしていなかった。
 Twitterを開いて、光陽文庫の公式アカウントにアクセスする。
 一次選考結果のツイートを引用する形で『一次選考、通過しました! 二次・最終もどうかよろしくお願いします……! #光陽文庫小説新人賞』とツイートしておいた。
 今から二次選考の結果が待ちきれない。無事に通過できるのか、それとも——
 すぐにリプライがつく。

『@dj_namihei すごい、さすがですね!』
『@furuno_miko プラチナ先生、おめでとうございます!!!!!』
『@supernoritama2 おー! 二次選考の結果も見守ってます♪』

 みんなずっとまえから、それこそ一年まえに僕が小説をWebで公開し始めた頃からTwitter上で交流がある人たちばかりだ。
 リプライ一つひとつにいいねを押していく。

 数学で赤点を取ったことなんてどうでもよくなるくらい、嬉しい気持ちでいっぱいになる。
 一次選考を通過できたこともすごいことだけれど、こうして数分と経たずに祝福のツイートを送ってくれる人たちがいることのほうがもっとすごいのではないか。
 純粋にありがたいと感じる。
 ようやく実感が湧いてきたかもしれない。

 Web小説を投稿し始めた当初は本当に誰からも読んでもらえず、もちろんいいねや感想もまったくもらえず、正直なところ投げ出しかけていた。
 敦子先輩にそのことを相談すると「まあ、最初はみんなそうだよね」と慰めてくれたが、いつまでこんな悲しい状況が続くのだろう、いつか耐えきれなくなって小説の執筆自体をやめてしまう時がくるのだろうかと不安になっていた。
 今でこそ彼らのようにいつも読んでくれる人々が増えたけれど、しばらくはずっと耐えてきたし、腐らずにここまで書き続けてよかったとも感じる。

「あれっ、御手洗くんじゃーん。どしたん一人で?」

 里香の声。
 スマートフォンの画面から顔を上げると、里香と真莉愛が屋上に入ってきたところのようだった。
 声をかけてきた里香は、左手にコンビニのレジ袋を持っている。
 真莉愛は紙パックのレモンティーを手にしていた。

「今日は、相方は休みだっけ?」
「相方って、穂坂くん?」
 里香の僕への問いかけに、真莉愛が重ねた。
「そうそう。御手洗くんたち、いっつも一緒にいんじゃん?」
「トモなら風邪引いてるっぽいよ」
 僕がそう答えると、へえ、と里香は眉を上げた。
「珍しいじゃん」
「気になるの? りっちゃん」
「いやっ? あたしは別に?」
「ほんと、りっちゃん好きだよね。この二人のカップリング」
「いやいやいや! そんなことないって!」

 ……やめてほしいな、カップリングという表現は。
 彼女たちは知らないだろうけれど、BL小説も書く僕としては自分自身がそういう目で見られるというのは、名状しがたい恥ずかしさのようなものを覚える。

「そういうまーちゃんだって、プラチナ先生のBL小説のカップリング、ドハマりしてたじゃん!」

 恥ずかしいというか、むずがゆいというか——うん?

「そうだ、聞いてよりっちゃん! プラチナ先生、一次選考通過してたんだよ!」

 ——えっ?
 プラチナ、先生?

「通過って?」
 里香は首を傾げる。
「新人賞だよ、小説の! すごくない!?」

 待って、待って。

「へーっ、すごいじゃん」
「だよね! やっぱりプラチナ先生しか勝たんよね!」
「あのさッ」
 たまらず僕は間に割って入った。
 真莉愛と里香が少しだけ驚いたようにして、僕の顔を見る。

「その、プラチナ先生……って?」
「あ、そっか、知らないよね。白金式部っていうペンネームでWeb小説を書いてる人でさ」
 真莉愛が頬をわずかに紅潮させて答える。
「まーちゃんがめっちゃ推してんだよね、その作家さん」
「この人なんだけど」

 真莉愛がスマートフォンの画面を僕のほうへ見せてくる。
 ダークモードのTwitterの画面で、そこには僕の——白金式部のアカウントのプロフィールが映し出されていた。
 アイコンも自作品のキャラのイラストだから、間違いない。
 そしてフォローボタンの部分は《フォロー中》と表示されている。

 呼吸が乱れる。
 どこに目の焦点を合わせればよいかわからなくなってきた。
 真莉愛と里香は白金式部のことを知っていて?
 しかも真莉愛はプラチナ先生推しで?
 Twitterアカウントもフォローして——

 もう一度、彼女のスマートフォンの画面に映る白金式部のプロフィールを注視する。
 そこに書かれている文章は当然ながら暗唱できるくらい覚えているが、問題は、ユーザ名の隣に表示されている《フォローされています》の部分。いわゆる、相互フォロー。

 ——僕も真莉愛のTwitterアカウントをフォローしている?
 いったいどのアカウントだ?
 しかも、一次選考通過のことはつい数分まえにツイートしたばかりなのに、もう知っているということは、フォロワーさんの中でも相当限られてくる。

「いやぁ、《みこ》ちゃんはプラチナファンの古株ですからなぁ、《ふるの》だけに!」
「ちょっと、りっちゃん!」
 慌てた様子で、真莉愛はスマートフォンをポケットにしまった。
 がはは、と里香はなぜか得意げに笑っている。

 みこちゃん。ふるの。
 ということは——《@furuno_miko》さん、か。
 僕の頭の中に、いろんな感情が押し寄せてくる。

 たしかに《ふるのみこ》さんといえば一番の古株で、作品をいつも真っ先に読んでくれて、Twitterでも欠かさずいいねやリツイートをしてくれる。
 BL小説をWeb公開したときは、主人公たちのカップリングがよほど気に入ってくれたのか、ファンアート的なイラストまで描いてくれた。
 Twitterの白金式部アカウントのアイコンにしているものがまさに、みこさんのイラストだ。
 僕が白金式部として活動し始めた頃から推してくれていて、そんな彼女のおかげでフォロワーさんが増えていったのは揺るぎない事実なので、とてつもなく感謝しているフォロワーさんの一人であることは間違いない。
 それが——真莉愛だったなんて。

 真莉愛と里香は一次選考の話で盛り上がっている。
 僕は頭をフル回転させた。
 ——ここで僕は、自分が白金式部であることを伝えるべきなのか。
 このまま黙ったままというのは、どこか後ろめたい。
 かといって、もしかすると、ここでカミングアウトすることで失望されて見限られてしまうかもしれないと思うと、正直怖い。

「どしたん?」
 里香が僕の顔をのぞき込んでくる。
「あ、えっ?」
「なんか、顔が真っ青じゃね?」
「いや、別に、そんなことないけど」
 里香はさらに訊ねてくる。
「そういや、御手洗くんって文芸部っしょ? Web小説とかも詳しいかと思ったけど、あんまりそういうのは読まない感じ?」
「ううん、読まないことはないかな。文芸部っていっても、二人しかいないけどね」

「御手洗くん、文芸部なんだ」
 真莉愛が言葉を重ねた。
「二人だけ? あと一人は?」
「三年生の部長で、秋山敦子さんって人」
「……ふうん」
 真莉愛は大きな瞳を向けてくる。
 そして彼女は「ま、いいケド」と声を漏らした。

「僕、教室に戻るね」
 立ち上がって、真莉愛と里香の間をすり抜けるようにして階段へと向かった。
 向かう先は教室ではなく、食堂。
 喉がカラカラだった。
 適当なテーブルにつき、持っていたジャスミン茶を一気にあおる。

 スマートフォンでTwitterを開き、自分で流した一次選考通過の引用ツイートを見ると、いいねが何倍も増えていた。
 新たに祝福のリプライをくれたフォロワーさんたちもいて、一人ずつリプライを返していく。

『@furuno_miko プラチナ先生、おめでとうございます!!!!!』

 昨日までだったら——いや、ついさっきまでだったら何事もなくリプライできていただろうに。
 今となっては、どう接したらいいのかわからない。
 見慣れた猫のアイコンの向こう側には、どこかの誰かではなく、真莉愛がいたんだということを意識せざるを得ない。
 そう、今までずっと、彼女が。

『ありがとうございます!』

 僕は《ふるのみこ》に一言だけ返す。
 いや、一言だけしか返すことができなかった。
 真莉愛が初期からずっと推してくれていたという嬉しさと、結局正体を明かすことができなかったという罪悪感と、得体の知れない不安とがない交ぜになったような感情が、僕の胸の内に渦巻いていた。

(つづく)

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