23. もしも君が推すならば
「つまり僕たちは、お互いに推しだったってこと……?」
僕の問いかけに、真莉愛は目を合わせてはにかむ。
「そう……みたい」
——こんな。
こんなことがあってもいいんだろうか。
彼女の口から明かされた今でも、まったくといっていいほど実感がない。
「それじゃあさ、当たり前かもだけど……今まで僕がYouTubeでコメントしてたのも全部覚えてたりするの?」
数秒の間があって、真莉愛は黙ったままうなずく。
訊くまでもなかったかもしれない。
正確には、僕が最古参の一人だとわかってから彼女はコメントを意識し出したのだろうけれど、この一年ほどの僕の直情丸出しコメントを全部把握されていると考えただけで身悶えしそうになる。
穴があったら地中深くまで掘り下げて潜り込みたい。
「でもさ、それは旬くんだって同じじゃん」
真莉愛は拗ねたような顔をする。
「旬くんだってわたしの、ふるのみこのTwitterのリプライとか全部覚えてるんでしょ? だから、おあいこだよ」
「あー…………なるほど。たしかに」
普通に考えたら恥ずかしくなってしまうことなのに、お互いがお互いの推しだったという事実があるだけで体がむずむずしてくる。
「あのさ、ちょっと場所を変えない?」
いたたまれなくなって、僕は真莉愛に提案した。
彼女も同じような気持ちだったのか、すんなりとOKを出す。
そして僕らは公園から海岸のほうへ向かった。
途中、コンビニで真莉愛はアイスラテを、僕はアイスコーヒーを買う。
倉庫や古いビルが建ち並ぶ間を抜けて、船着き場の近くにたどり着いた。
辺りには誰もいない。
僕らは隅のほうに置かれたベンチに並んで腰かけた。
一緒に歩いていた間、なんとなくお互いに気まずいような空気になって、ほとんど言葉を交わしていない。
僕は僕で頭の中がぐるぐると混乱気味だったし、きっと真莉愛もそうなのだろう。
「旬くんはさ」
真莉愛が口を開く。
「この先どうするの?」
「この先って、小説のこと?」
「それもそうだし、進路のこととか」
進路——就職か、進学か。
たしかに、もうそろそろ真剣に向き合わないといけない。
デビュー作の売れ行きがお世辞にも好調とはいえない現状を考えれば、もっと現実的な選択をする必要があるのかもしれない。
「僕は……いまだに決めきれてないや。情けない話だけど。真莉愛は、高校卒業してもVTuber活動を続けるつもり?」
「それは、うん。できればずっと続けたい。でも、文芸系VTuberのくろのふみとしてやっていくには、まだまだ勉強が足りないなって。旬くんも知ってると思うけど、うちのリスナーさんって出版社の編集者さんとか作家さんがけっこういるでしょ? そういう人たちからコメントで文芸関係の深い話題を出されると、正直、理解しきれてないところもあって。わたしだって一応いろいろと勉強してるつもりだけど、コアなリスナーさんにも楽しんでもらうためには、もっと広く深く勉強する必要があると思うんだよね」
淀みなく話す真莉愛の視線は、海のほうへ向けられている。
海面は夕日を受けて黄金色にきらめき、彼女の体もその光に柔らかく照らされていた。
「だから、大学で知識とか教養とかをもっと体系的に身につけようかなって。もちろん、くろのふみの活動は並行して続けるつもり」
「その先は?」
「その先は……理想としては、VTuber活動を専業でやっていきたいかな」
まだわからないけどね、と真莉愛は笑ってアイスラテに口をつけた。
「そしたら、まずは大学受験で文学部に入るって感じなんだ」
「そう……だね。うん。文学部」
僕と真莉愛は、文芸でつながっている。
僕は小説を書く者として、真莉愛は文芸作品を広める者として。
やっていることや目指すものはそれぞれ違うけれど、僕たちの根底には文芸がある。
それはおそらく、彼女も理解しているはず。
彼女が文学部を目指すというのは僕が聞いてもごく自然なことだと思うし、きっと彼女の家族や学校の先生たちが聞いても違和感はないだろう。
「旬くんは? この先もずっと小説家を続けていくの?」
「僕は…………」
僕は、どうだろうか。
彼女ほど確固とした意志を持って小説家をやっていくつもりなのか。
運も縁も重なって商業デビューはできたけれど、正直なところ成功というにはほど遠いし、これからも小説家として商業活動を続けていけるかどうかは微妙なところだ。
彼女以上に、もっともっと努力が必要だろう。
「辞めるなんて言ったら、怒るからね」
抗議するような目を向けてきて、そして彼女は表情を緩ませた。
「……ていうのは言いすぎかもだけど、旬くんがプラチナ先生を辞めるようなことになったら、わたしもくろのふみを卒業するかも」
「ちょッ」
思わず立ち上がってしまう。
「それはダメだよ。ダメだって」
「まえにも言ったかもしれないけど、プラチナ先生は世界に一人だけなの。そのたった一人の推しがいなくなっちゃったら、わたしはきっと——ダメになっちゃう。きっと、くろのふみも続けられなくなっちゃう」
「そんなッ! そしたら、ふみふみのことを推してる一万人のリスナーはどうすればいいのさ!」
「それを言ったら、プラチナ先生を推してる何千人もの読者は、どうしたらいいの?」
返す言葉が出てこない。
彼女に促されるまま、再びベンチに腰掛ける。
「Twitterとかでたまに見かけるけど、プラチナ先生の小説のおかげで救われたとか気持ちが前向きになれたとか、そんなふうに言ってくれる人がたくさんいるってこと、わたしは知ってるよ。もちろん、わたし自身がその一人だし」
「それは……そうだけど……」
「ごめん、なんか話が変なほうにいっちゃったけど、わたしは旬くんに強制するつもりはないからね。でも、一番のファンが旬くんの目の前にいつだっているんだから」
ぎゅっ、と真莉愛から手を握られる。
風にあてられたからか、少し冷たくなっていた。
「僕だってそうだよ。ふみふみの一番のファンがいつだってここにいるんだよ」
「わかってるよ」
真莉愛から、ふわりと抱きしめられる。
そして彼女は僕の耳元で、
「大好きだよ」
と囁いた。
全身がぞくっとする。
すっ、と離れたかと思うと、彼女は僕の左頬に唇を押し当ててきた。
柔らかな感触が消えて、真莉愛は気恥ずかしそうに笑った。
「この間は右だったから。左も上書きしちゃった」
——僕はもう。
あれこれ考えずに真莉愛のことだけを見てればいいんだ、きっと。
僕の恋人は、いつだってそばにいる。
推しはいつだって、そばにいるんだから。
僕は真莉愛の両肩に手をかけて力を込めた。
そして彼女をグッと引き寄せると、僕は唇を重ねた。
「————!」
彼女の背中に両腕を回す。
もう離したくない。
真莉愛も僕の腰に抱きついてきた。
目を閉じているから、彼女がどんな顔をしているのかわからない。
だけど今、僕と真莉愛は一つにつながっている。
それだけは、はっきりとわかった。
ゆっくりとお互いの顔が離れ、そして再び唇を交わした。
どれほどそうしていたかわからない。
もう一度唇を離したそのとき、目が合った瞬間の彼女の表情を、僕は生涯忘れないと思う。
「真莉愛」
何も答えず、彼女は僕の目を真っすぐに見つめている。
「大好きだよ」
時が止まったのかと思った。
そして彼女の涙が、その沈黙を動かした。
「わたし、旬くんのことが大好き。全部好き!」
——推しはいつだって、そばにいる。
恋人はいつだって、そばにいる。
でもそれって当たり前のことじゃない。
僕はもう一度彼女のことを抱きしめた。
「真莉愛。いつまでも、そばにいて」
僕の問いかけに、真莉愛は目を合わせてはにかむ。
「そう……みたい」
——こんな。
こんなことがあってもいいんだろうか。
彼女の口から明かされた今でも、まったくといっていいほど実感がない。
「それじゃあさ、当たり前かもだけど……今まで僕がYouTubeでコメントしてたのも全部覚えてたりするの?」
数秒の間があって、真莉愛は黙ったままうなずく。
訊くまでもなかったかもしれない。
正確には、僕が最古参の一人だとわかってから彼女はコメントを意識し出したのだろうけれど、この一年ほどの僕の直情丸出しコメントを全部把握されていると考えただけで身悶えしそうになる。
穴があったら地中深くまで掘り下げて潜り込みたい。
「でもさ、それは旬くんだって同じじゃん」
真莉愛は拗ねたような顔をする。
「旬くんだってわたしの、ふるのみこのTwitterのリプライとか全部覚えてるんでしょ? だから、おあいこだよ」
「あー…………なるほど。たしかに」
普通に考えたら恥ずかしくなってしまうことなのに、お互いがお互いの推しだったという事実があるだけで体がむずむずしてくる。
「あのさ、ちょっと場所を変えない?」
いたたまれなくなって、僕は真莉愛に提案した。
彼女も同じような気持ちだったのか、すんなりとOKを出す。
そして僕らは公園から海岸のほうへ向かった。
途中、コンビニで真莉愛はアイスラテを、僕はアイスコーヒーを買う。
倉庫や古いビルが建ち並ぶ間を抜けて、船着き場の近くにたどり着いた。
辺りには誰もいない。
僕らは隅のほうに置かれたベンチに並んで腰かけた。
一緒に歩いていた間、なんとなくお互いに気まずいような空気になって、ほとんど言葉を交わしていない。
僕は僕で頭の中がぐるぐると混乱気味だったし、きっと真莉愛もそうなのだろう。
「旬くんはさ」
真莉愛が口を開く。
「この先どうするの?」
「この先って、小説のこと?」
「それもそうだし、進路のこととか」
進路——就職か、進学か。
たしかに、もうそろそろ真剣に向き合わないといけない。
デビュー作の売れ行きがお世辞にも好調とはいえない現状を考えれば、もっと現実的な選択をする必要があるのかもしれない。
「僕は……いまだに決めきれてないや。情けない話だけど。真莉愛は、高校卒業してもVTuber活動を続けるつもり?」
「それは、うん。できればずっと続けたい。でも、文芸系VTuberのくろのふみとしてやっていくには、まだまだ勉強が足りないなって。旬くんも知ってると思うけど、うちのリスナーさんって出版社の編集者さんとか作家さんがけっこういるでしょ? そういう人たちからコメントで文芸関係の深い話題を出されると、正直、理解しきれてないところもあって。わたしだって一応いろいろと勉強してるつもりだけど、コアなリスナーさんにも楽しんでもらうためには、もっと広く深く勉強する必要があると思うんだよね」
淀みなく話す真莉愛の視線は、海のほうへ向けられている。
海面は夕日を受けて黄金色にきらめき、彼女の体もその光に柔らかく照らされていた。
「だから、大学で知識とか教養とかをもっと体系的に身につけようかなって。もちろん、くろのふみの活動は並行して続けるつもり」
「その先は?」
「その先は……理想としては、VTuber活動を専業でやっていきたいかな」
まだわからないけどね、と真莉愛は笑ってアイスラテに口をつけた。
「そしたら、まずは大学受験で文学部に入るって感じなんだ」
「そう……だね。うん。文学部」
僕と真莉愛は、文芸でつながっている。
僕は小説を書く者として、真莉愛は文芸作品を広める者として。
やっていることや目指すものはそれぞれ違うけれど、僕たちの根底には文芸がある。
それはおそらく、彼女も理解しているはず。
彼女が文学部を目指すというのは僕が聞いてもごく自然なことだと思うし、きっと彼女の家族や学校の先生たちが聞いても違和感はないだろう。
「旬くんは? この先もずっと小説家を続けていくの?」
「僕は…………」
僕は、どうだろうか。
彼女ほど確固とした意志を持って小説家をやっていくつもりなのか。
運も縁も重なって商業デビューはできたけれど、正直なところ成功というにはほど遠いし、これからも小説家として商業活動を続けていけるかどうかは微妙なところだ。
彼女以上に、もっともっと努力が必要だろう。
「辞めるなんて言ったら、怒るからね」
抗議するような目を向けてきて、そして彼女は表情を緩ませた。
「……ていうのは言いすぎかもだけど、旬くんがプラチナ先生を辞めるようなことになったら、わたしもくろのふみを卒業するかも」
「ちょッ」
思わず立ち上がってしまう。
「それはダメだよ。ダメだって」
「まえにも言ったかもしれないけど、プラチナ先生は世界に一人だけなの。そのたった一人の推しがいなくなっちゃったら、わたしはきっと——ダメになっちゃう。きっと、くろのふみも続けられなくなっちゃう」
「そんなッ! そしたら、ふみふみのことを推してる一万人のリスナーはどうすればいいのさ!」
「それを言ったら、プラチナ先生を推してる何千人もの読者は、どうしたらいいの?」
返す言葉が出てこない。
彼女に促されるまま、再びベンチに腰掛ける。
「Twitterとかでたまに見かけるけど、プラチナ先生の小説のおかげで救われたとか気持ちが前向きになれたとか、そんなふうに言ってくれる人がたくさんいるってこと、わたしは知ってるよ。もちろん、わたし自身がその一人だし」
「それは……そうだけど……」
「ごめん、なんか話が変なほうにいっちゃったけど、わたしは旬くんに強制するつもりはないからね。でも、一番のファンが旬くんの目の前にいつだっているんだから」
ぎゅっ、と真莉愛から手を握られる。
風にあてられたからか、少し冷たくなっていた。
「僕だってそうだよ。ふみふみの一番のファンがいつだってここにいるんだよ」
「わかってるよ」
真莉愛から、ふわりと抱きしめられる。
そして彼女は僕の耳元で、
「大好きだよ」
と囁いた。
全身がぞくっとする。
すっ、と離れたかと思うと、彼女は僕の左頬に唇を押し当ててきた。
柔らかな感触が消えて、真莉愛は気恥ずかしそうに笑った。
「この間は右だったから。左も上書きしちゃった」
——僕はもう。
あれこれ考えずに真莉愛のことだけを見てればいいんだ、きっと。
僕の恋人は、いつだってそばにいる。
推しはいつだって、そばにいるんだから。
僕は真莉愛の両肩に手をかけて力を込めた。
そして彼女をグッと引き寄せると、僕は唇を重ねた。
「————!」
彼女の背中に両腕を回す。
もう離したくない。
真莉愛も僕の腰に抱きついてきた。
目を閉じているから、彼女がどんな顔をしているのかわからない。
だけど今、僕と真莉愛は一つにつながっている。
それだけは、はっきりとわかった。
ゆっくりとお互いの顔が離れ、そして再び唇を交わした。
どれほどそうしていたかわからない。
もう一度唇を離したそのとき、目が合った瞬間の彼女の表情を、僕は生涯忘れないと思う。
「真莉愛」
何も答えず、彼女は僕の目を真っすぐに見つめている。
「大好きだよ」
時が止まったのかと思った。
そして彼女の涙が、その沈黙を動かした。
「わたし、旬くんのことが大好き。全部好き!」
——推しはいつだって、そばにいる。
恋人はいつだって、そばにいる。
でもそれって当たり前のことじゃない。
僕はもう一度彼女のことを抱きしめた。
「真莉愛。いつまでも、そばにいて」
(つづく)
シェア:
Xでポストする