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12. 祈り

 放課後、部室に現れた敦子先輩は機嫌が良さそうだった。
 心なしか足取りが軽いように見える。
「何かいいことでもあったんですか?」
 敦子先輩は鞄を長机の脇に置いて、椅子に腰かけた。
「ちょっとね。——ねえ旬くん、去年の春のこと覚えてる? ちょうど旬くんが入部したときのこと」

 もちろん、忘れるはずがない。
 高校に入学して間もない頃、幼馴染の知春以外には会話できる人も特にいない中、部活動紹介をきっかけにこの文芸部の部室へ見学しに来たこと。
 部員は敦子先輩の他にもう一人いるという説明があったけれど、その人は部室に顔を出すことはなく、結局僕は今までまったく面識がない。

 僕が初めて部室に訪れたときも敦子先輩は機嫌が良さそうだった。
 思い返してみれば、それはきっと新入生が見学に来てくれたという喜びだったのだろう。
 あのとき、僕と敦子先輩は部活動の話というよりも、好きな小説のジャンルや作家の話で終始盛り上がった。
 お互いに初耳の作品があったり、他にも新しい発見があったりして、僕は急速に興味が湧いてその場で入部を決めた。
 幼い頃から口下手で人見知りな僕だけれど、敦子先輩とはなぜか初対面のときから普通に話せたように思う。

「覚えてますよ、もちろん」
「……そっか」
 ふふっ、と敦子先輩は笑う。
「どうかしたんですか?」
「ううん、ちょっと思い出しただけ」
「そういえば、昨日のLINEですけど」
「ああ、そうね。そうだったわ」
 旬くん、と先輩は僕の目を真っすぐに見つめてきた。
「秋の文学フリマで一緒に出店しない?」

 日本各地で、文学作品の即売会《文学フリマ》が開かれている。
 地域によって開催時期は異なり、僕たちが住むところから最も近い場所では秋頃に毎年開催されていた。
 これまで参加する機会がなかったけれど、その存在自体はもちろん知っている。

「あー、いいですね。共同作品を出すってことですか?」
「もちろんそれでもいいし、旬くんの都合的に難しければ別々に出すのでもいいかなって。Web小説の連載もあるでしょうし、出版もそろそろでしょう?」
「そう……ですね」
「私はこれまで書いたものを集めて短編集みたいな形で出品することもできるから、無理に共同作品じゃなくても大丈夫よ。どうかしら?」

 たしかに、連載の目途がつくまであともう一息というところだし、それが終われば別ジャンルの短編小説を書こうと思っていたところだ。
 さらに共同作品も、となるとスケジュール的に厳しいのは明らか——だけど、せっかくなら敦子先輩と一緒に何かを作ってみたいという気もする。

「どうしようかな……」
 僕が決めあぐねていると、敦子先輩が切り出した。
「そしたら、今回は別々に出品するとして、ブースだけ一緒にしましょうか。旬くんは忙しいでしょうしね。私には連載も書籍化もないけど」
 少しばかりトゲを感じたのは気のせいだろうか。
 心なしか、敦子先輩の表情に陰りが見える気がする。

「……わかりました、それでいきましょう」
「ありがとう」
 そう言って微笑む敦子先輩の顔は、いつもの様子に戻っていた。
「話があるってLINEで言ってたのって、文学フリマのことですか?」
「そうよ。ちゃんと会って話したかったの。ごめんね、急に呼び出しちゃって」
「いえいえ、誘ってくれてありがとうございます」
「そういえばどうなの?」
「えっ?」
「あのコとは、どうなの?」
 敦子先輩の目に力がこもる。
 絶対に話を逸らさせないぞという強い意志を感じる。

「えっと、どうというか……まあ、はい」
「もうキスぐらいはしたの?」
「キっ!?」
 腰を浮かしてしまう。
 不意に、ハルさんの「ガッとしてグッとしてチューよ!」という言葉を思い出した。
 どうしてハルさんといい知春といい、敦子先輩といい、そんなにパッションが有り余ってるんだろう。

 あらあら、と敦子先輩は大仰に手を広げる。
「その様子だと、もしかしてまだなのかしら? ハグとか手をつないだりは?」
「ちょっと待ってください、僕と真莉愛はそんな感じじゃなくて——
「ふうん。もう呼び捨てにしてるんだ、あのコのことは」
 眼光が鋭くなる。
「私のことは一生《先輩》呼びなのに、話すようになって数か月足らずのあのコとは名前で呼び合うんだ。ふぅうん」
「いや、一生っていうのはちょっと大げさじゃ……」
「だったら、私のことも『敦子』って呼び捨てにしてくれるの?」
 語気を強める。
 そして敦子先輩は何も言わずに、じっと僕の目を見据えてくる。
 普段にこやかな人の、いざというときの圧ほど怖いものはない。
 変な汗が出てくる。

「いやっ、それは……さすがに恐れ多いというか……」
 敦子先輩は、ぷっと吹き出した。
「冗談よ。びっくりしちゃった?」
「じょ——なんだ、もう……勘弁してくださいよ」
「だって、焦ってる旬くん、可愛いんだもの」
 癖になりそう、と悪戯っぽく笑う。
「新人賞で銀賞を獲って、書籍化も決まって、連載も順調で、しかも可愛い彼女までできたなんて——少しはちょっかい出しても許されるでしょう?」
 敦子先輩は笑った。
 いや——顔は笑った形になっているけれど、目は笑っていなかった。
 一瞬、背筋に寒気が走る。

 ——もし、僕が白金式部であることを真莉愛にバラされてしまったとしたら。
 ほぼ確実に、真莉愛との関係はぎくしゃくしてしまうだろう。
 僕自身が真莉愛に打ち明けたわけではなく、人づてに知ったとなればなおさらだ。
 敦子先輩はそんなことをするような人ではないとわかっていながらも、そんな想像をしてしまう。
 杞憂というやつだろうか。
 いずれにしても、僕には信じることしかできない。

「うふふっ、ちょっとイジメすぎちゃったかしら? 旬くんのリアクションが可愛くて、つい」
 ごめんね、と今度はいつものように笑った。
「……勘弁してくださいよ、本当に。僕、そんなにメンタル強くないんですから」
「そんなことないわ、旬くんはメンタル強いわよ。強いというか、しなやかだわ」
「だといいんですけど」
 敦子先輩は壁に掛けられた時計を見て「あっ」と声を上げる。
「もう行かなきゃ。ごめんね、私から呼び出しておいて悪いんだけど」
「いえ、全然お気になさらずです」
「ありがとう、文学フリマのことはまた改めて詳しく話しましょう」
 そして敦子先輩は席を立ち上がった。

       ***

 その夜、いつものように自室で連載小説の原稿を書いていると、今井さんからメールが届いた。
 発売日が決定したらしく、ちょうど一か月後だった。
 書影の画像データもメールに添付してくれていて、さっそく開いてみる。
 事前に共有してもらっていたラフ案とは段違いの出来栄えだった。
 さすがプロのイラストレーターさんの仕事というべきか、改めて書籍化の実感が湧く。

 ——いよいよ、世に出る。
 自分の創り上げた世界が、書籍という形になって。
 言ってしまえば僕の妄想の産物でしかなかった物語が、今井さんとの共同作業を経てより洗練されたものとなって、さらにイラストレーターさんの手によって目に見える形が与えられて。
 僕の頭の中だけで動いていたキャラたちに、たしかな生命が吹き込まれたような感覚がする。
 それを、この本を読んでくれる人と共有できるのだと思うと、居ても立っても居られなくなる。

 僕はさっそくTwitterで発売日のお知らせを書影とともにツイートした。
 いつもの面子がすぐにリプライをくれる。

『@dj_namihei おおーっ、ついに! さっそく予約しますぞ!』
『@supernoritama2 おめでとうございます』
『@furuno_miko いよいよですねプラチナ先生! 1ダース買います!!!』

 ふるのみこ——真莉愛であれば本気で十二冊買ってくれそうで、めちゃくちゃ嬉しいけれどちょっと怖い気もする。
 自分の読書用と保存用と、飾り用と、残りは布教用だろうか。
「……ん?」
 のりたまさんの普段とは少し違うテンションに気づく。いつもなら語尾に音符をつけてくれたりするけれど、ちょっとしたツイートミスかもしれないのであまり気にしないことにする。

 新人賞に投稿したときからここまで、実際の時間の流れよりもずいぶんと長い時間が経ったような気分だ。
 新刊の売れ行きは初速が重要と訊くけれど、そればかりは自分でコントロールすることはできない。
 もはや僕にできることは、SNSで宣伝するのが精一杯か。
 あとは、祈ることくらいだろう。

 机の上で微笑んでいる、推しのVTuber《くろのふみ》のアクリルスタンドに向かって、僕は両手を合わせて祈った。

(つづく)

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