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8.出発

「どうもどうもぉ、初めまして」  モニターの向こう側で、光陽文庫編集部の今井さんが笑う。
 二十代後半の男性にしては老練な印象を受ける。
「担当編集の今井と申します。お忙しいところありがとうございます、白金さん」
「いえ、こちらこそです。白金式部です、よろしくお願いします」
 白金さんという呼ばれ方は新鮮で、どこか慣れない。
 新人賞に作品をWeb投稿するときに本名は書いてあったので、苗字は知っているはずだ。
 ペンネームで呼ぶのが文芸業界の慣習なのかもしれない。

「さっそくなのですが、刊行に向けて今後の動き方をお話ししたいと思いまして」
 息をのむ。
 いよいよだ、と思うと手の平に汗がにじんだ。
 今井さんは慣れているのだろう、これから何度か改稿を重ねて、校正を経て印刷所への依頼をかける、といった流れをよどみなく話してくれた。

「ここまでで、何か気になることはありますか?」
「あ、えっと……」
 とっさに思いつかない。
 まだ実感がわかないといったほうが正しいだろうけれど、そんな僕の様子を察してか、
「まだちょっと、進めてみないとわからないことも多いですよね」
 と今井さんはうなずきながら話した。
「そうですね、あの、すみません」
「いえ、全然問題ないです。そしたら、改稿のほうなのですが」

 今井さんは、なにやらテキストファイルを画面共有してくれる。
 よく見てみると、受賞作の原稿にたくさんメモが入っているものだった。
「このようにですね、私のほうで気になるポイントをメモしてあります。のちほどファイルを共有しますので、それに沿って改稿していければと思うのですが、全体を通して改稿の要点は——キャラです」

 新人賞の講評でも、今回の受賞作は「ストーリーの構成力や文章力は高くて読みやすいが、キャラクターがストーリーの求める流れに従って動かされているため、もっと深くキャラクターを掘り下げて、キャラクター自身が物語を動かすようなアプローチがほしかった」と評されていた。
 明確に書かれてはいないけれど、それこそが金賞ではなく銀賞たる理由なのだろうなと自分でも痛感している。

「やはり、小説の軸となるのはキャラクターですので。いかに魅力的なキャラクターを描けるかが、その作品を左右するといっても過言ではないです」
「そうですね……正直、一番難しいところだなと思ってます」
「もちろんです。どんなベテラン作家も、キャラクターをどう描くかに苦心するのは共通ですからね。今回の白金さんの受賞作でいうと、最もテコ入れが必要なのは主人公です」

 それも自覚があった。
 初稿を書いている段階でも、サブキャラはわりとスムーズに書けていたけれど、主人公だけは最後までそのひととなりが曖昧なイメージのままだった。
 それでもプロットを組んで、物語を進行させていけば、主人公も自然と話したり行動を起こしたりするけれど、どこかほんの少しぎこちなさのようなものが残っていたのは確かだ。
 そのわずかに詰め切れていない部分を見逃さないのは、さすがに編集者なのだろう。

「気になるポイントを別紙にまとめてきましたので、これらを詰めていければと思います」
 先ほどとは別のテキストファイルを画面共有してくれる。
 気になる点や曖昧な部分、もっと深掘りしたほうがよさそうなポイントを箇条書きで整理されてあった。

「たとえばですね、第三章の中盤で、主人公が親友の忠告には従わずに彼女へ会いに行くシーンがありましたよね? あそこで、物語の流れとしては彼女へ会いに行くのは展開として自然だし、読者的にもそれほど違和感なく読み進められるんですが、主人公はなんの迷いもなく即断即決で会いに行ったわけじゃないですよね? 主人公の性格からして、忠告してくれた親友のことをきっと頭の中で悶々と考え続けて、行くかどうか散々悩んだ末に決断したんだと思うんですよ。そういう葛藤とか、主人公の性格の奥深いところがしっかりと読者に伝わるようにしたいんです」

 今井さんの言葉はもっともで、自分でも足りないところだったなと理解している。
 でも僕としては、決して手を抜いているとか面倒くさいというわけではない。
 むしろ自分でも、なんでそんな重要な場面もっとを深掘りして書けなかったんだろう、と疑問に思うばかりだ。

「そう、ですね……わかります」
「そういった、葛藤や衝突というのはキャラクターが際立つ場面でもあるので、特に力を入れたいところですね。逆に言うと、そういうシリアスな場面以外の日常的な会話のシーンなどはとてもユニークに描かれていて、キャラクターの魅力がよく伝わってきます」 「ありがとうございます」
「だからこそ、そのユニークさの対比で葛藤や衝突といった部分をより際立たせることができるので、しっかり改稿していきましょうね」

 改稿の締め切り日を一か月後に定めて、少し話した後にビデオ通話を終了させた。
 自室の椅子の背もたれに体重を預けて、ふう、と息をつく。
 今井さんと話していたのは三十分ほどだったけれど、三時間くらいは話していたような感覚だ。
 手や脇に汗がにじむ。

 すぐにメールでテキストファイルが二つ送られてきた。
 ノートパソコンのローカルドライブに保存して、ひととおり目を通す。
 メモがびっしりと書かれてあって、やるべきことは山積みだった。

 気分転換に、タブレット端末でYouTubeの《くろのふみ》チャンネルを開く。
 アーカイブ動画の一覧から適当に選び、再生する。
 いつもの黒猫お姉さんの2Dキャラが現れ、艶っぽいハスキーボイスで「おまたせしました~」という声が流れた瞬間、どこかホッとした気持ちになる。
 小説紹介の回で、書店でもよく目にするような作品が並ぶ。

 ここに並んでいる作品も、それぞれの著者が書いては直してを何度も繰り返してようやく世に出たものだと思うと、他人事のようには思えなくなる。
 でも、専業作家として生きていきたいのであれば、毎日が執筆と改稿の繰り返しになるわけだ。
 自分にはそんな日々が楽しいと思えるだろうか。
 今まではほとんど趣味の範囲でWeb小説を書いていて、読んでくれる人たちがちらほらといるという状況を楽しんできた。
 それが、言ってしまえば「仕事」になっても、果たして自分は楽しむことができるのだろうか。
 楽しみ続けることができるのだろうか。
 もし小説を書くことが楽しくなくなって、小説を読むことさえも嫌気が差してしまったら——

「……ダメだ」
 椅子から立ち上がる。
 ネガティブな思考に引きずられてしまいそうで、無理にでも考えないようにする。
 タブレット端末の画面の向こう側では、ふみふみが楽しそうに笑っていた。

(つづく)

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